仏教語から転じた言葉: 愛敬(あいきょう)・愛想(あいそ)

男は度胸、女は愛敬」とか、「愛敬をふりまく」など、愛嬌と言えば、にこやかでかわいらしいことや、愛想のよいことを意味する言葉として知られています。この愛敬は本来「愛敬」と書き「アイギヨウ」と読んで仏教語でした。愛(いつく)しみ、敬(うやま)うことを意味したのです。仏や菩薩の容貌は穏和で慈悲深く、拝む人たちが愛敬せずにはおられない相を表しておられるので、その相を愛敬相といいます。愛敬は、その愛敬相から来たものなのです。また、「愛嬌がよい」とか、「愛想が尽きた」などと使われている愛想という語も、本来は「愛想」で、そのもとは同じ愛敬相から出た語のようです。同じ愛敬相から、愛嬌と愛想が生まれ、それが、愛敬と愛想となっていったようですが、いずれも、もとは仏さまのお顔の相だったんですね。