2011-05-01から1ヶ月間の記事一覧

「歎異抄」:師訓篇 第十条(無義為義)

念仏には無義をもつて義とす。不可称不可説不可思議のゆゑにと仰せ候ひき。 現代語訳・・・(本願他力の念仏にあっては、私たちが自分の頭などで、あれこれと計らわない事を根本の道理とします。なぜなら、念仏は計らいを超えており、言葉で讃え尽くす事も、…

「歎異抄」:師訓篇 第九章(不喜不快)

念仏申し候へども、踊躍歓喜のこころおろそかに候ふこと、またいそぎ浄土へまゐりたきこころの候はぬは、いかにと候ふべきことにて候ふやらんと、申しいれて候ひしかば、親鸞もこの不審ありつるに、唯円坊おなじこころにてありけり。よくよく案じみれば、天…

「歎異抄」:師訓篇 第八章(非行非善)

念仏は行者のために、非行・非善なり。わがはからひにて行ずるにあらざれば、非行といふ。わがはからひにてつくる善にもあらざれば、非善といふ。ひとへに他力にして、自力をはなれたたるゆゑに、行者のためには、非行・非善なりと云々。 言だ語訳・・・(ア…

「歎異抄」:師訓篇 第七章(念仏無碍)

念仏者は無礙の一道なり。そのいはれいかんとならば、信心の行者には、天神・地祇も敬伏し、魔界・外道も障礙することなし。罪悪も業報を感ずることあたはず。諸善もおよぶことなきゆゑなりと云々。 現代語訳・・・(念仏の教え、またその教えに生きるよりど…

「歎異抄」:師訓篇 第六章(誡弟子淨)

専修念仏のともがらの、わが弟子、ひとの弟子といふ相論の候ふらんこと、もつてのほかの子細なり。親鸞は弟子一人ももたず候ふ。そのゆゑは、わがはからひにて、ひとに念仏を申させ候はばこそ、弟子にても候はめ、弥陀の御もよほしにあづかつて念仏申し候ふ…

「歎異抄」:師訓篇 第五章(念仏不廻)

親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏申したること、いまだ候はず。そのゆゑは、一切の有情はまなもつて世世生生の父母・兄弟なり。いづれもいづれも、この順次生に仏に成りてたすけ候ふべきなり。わがちからにてはげむ善にても候はばこそ、念仏を回…

「歎異抄」:師訓篇 第四章(慈悲差別)

慈悲に聖道・浄土のかはりめあり。聖道の慈悲といふは、ものをあわれみ、かなしみ、はぐくむなり。しかれども、おもふがごとくたすけとぐること、きはめてありがたし。浄土の慈悲といふは、念仏して、いそぎ仏に成りて、大非大慈悲心をもつて、おもふがごと…

「歎異抄」:師訓篇 第三章(悪人正機)

善人なほもつて往生をとぐ。いわんや悪人をや。しかるを世のひとつねにいはく、「悪人なほ往生す。いかにいはんや善人をや」。この条、一旦そのいはれあるに似たれども、本願他力の意趣にそむけり。そのゆゑは、自力作善の人は、ひとへに他力をたのむこころ…

「歎異抄」:師訓篇 第二章(唯信念仏)

おのおの十余カ国のさかひをこえて、身命をかへりみずして、たづねきたらしめたまふ御こころざし、ひとへに往生極楽のみちを問ひきかんがためなり。しかるに念仏よりほかに往生のみちをも存知し、また法文等えおもしりたるらんと、こころにくくおぼしめして…

「歎異抄」:師訓篇 第一章(弘願信心)

弥陀の誓願不思議にたすけられまゐらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏申さんとおもいたつこころのおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあづけしめはまふなり。弥陀の本願には、老少・善悪のひとをえらばず、ただ信心を要とすとしるべし。そのゆゑは、…

「歎異抄」:師訓篇 序

ひそかに愚案を回らして、ほぼ古今を勘ふるに、先師(親鸞)の口伝の真信に異なることを嘆き、後学相続の疑惑あることを思ふに、幸ひに有縁の知識によらずは、いかでか易行の一門に入ることを得んや。まつたく自見の覚悟をもつて、他力の宗旨を乱ることなか…

「歎異抄」

「歎異抄」は浄土真宗の信者さんに限らず、日本の宗教書の中でも最も愛読されていると言っても過言ではない。今回、この講で少々長丁場になるやも知れないが「歎異抄」に付いて述べて見ようと思う。「歎異抄」は親鸞聖人の若き同朋、唯円が編述したものと伝…

内観体験記 VOL:30最終章

これで、6月2日から13日(7泊8日)にかけての内観体験記を終了の運びとなりました。まだ、推敲もままならず、誤字脱字そして、文章に脈絡が可笑しいところもあり、読みづらい所もあるかと思います。徐々に推敲を重ねて参りますので宜しくお願いいたし…

内観体験記 VOL:29

昨夜は、最終とあってスケジュールも一杯、そして夜9時からの諸先生方の個別指導などで、少々疲れたが思いのほか良く寝られた。いつもの様に4時前に目が覚めた。いつもは朝食は無いが、「解散式の日は朝食がありますから、手荷物は全て持って、6時に食堂…

内観体験記 VOL:28

さて、今回の内観体験も佳境に入って来た。水野先生並びに諸先生が見守る中、最後の集中内観も7時30分をして全て終了した。この間、共に入所した私を含め9人の仲間は7人になっていた。その二人が何日目に帰えられたかは気が付かなかった。また、そんな…

内観体験記 VOL:27

内観は禅宗の「座禅」とよく混同されるが基本的には全く違ったものである。内観についてはVOL:01で詳しく書いたが、この稿は「座禅」に付いて書くことにする。簡単に云えば、座禅は、姿勢を正して坐った状態で精神統一を行う、禅の基本的な修業法。一般的に…

内観体験記 VOL:26

夕食、お風呂も済ませ6時か9時まで、水野先生並びに諸先生方がご出席の中、最後の集中内観が始まる。今回の内観の最終として遅ればせながら、家族に視点を於いて内観しょうと思う。ただし、この「JR2ENQの日記」には表記しない事とする。なぜならば…

内観体験記 VOL:25

幾多の苦難を4年間乗り切って卒業したとしても、僧侶の資格は得られる訳ではない。最後の難局、得度習礼を受ける資格資格が与えられるに過ぎない。それも、その資格も卒業してから5年間で消滅する事になっている。しかも、60歳以上は受けることは出来な…

内観体験記 VOL:24

午後からは最終日でもあるし、午前中の清掃作業の時、褒められた。そして、期待しているとも言われた、真意ではないと思うが根が単純に出来ているからその気になって来た。これから終了まで内観時間は、スケジュールを見ると、今から3時までの2時間30分…

内観体験記 VOL:23

10時から一時間は境内の清掃作業だ。今日は早朝も快晴だったが、この時間も雲一つない。内観で思考停止に陥るこの時間を選び、気分転換の意味もあるのだろう。粋な計らいである。全員が外に出ると軍手を渡され、作業手順のお話があった。広い境内はゴミを…

内観体験記 VOL:22

さて、母の話しに入ろう。6人兄弟の長女として大正3年生まれ、父とは3歳違いであった。両家は遠い親戚に当たり、家は我が家の三軒隣で、小さい頃からの知り合いと云うか幼馴染の関係にあった。どうも、父がかなり積極的だったらしく猛烈なアタックの末、…

内観体験記 VOL:21

そんな父の一番の楽しみは酒を飲む事だった。若い時から農閑期(11月から2月)に三重群川越町の酒造所で杜氏として働いていた。そこで酒を覚えたのであろう。農作業が出来ない雨降りには朝から飲んでいた。飲んで、酔いつぶれたり暴れると云う事はなかっ…

内観体験記 VOL:20

一昨日までに、三男、両親を除きそれぞれの内観をほぼ完了した。それに、昨日は三男を終えたし、母は入所初日に少し行ったが、雑念にさいなまれて不十分だったので、今日は両親に対しての内観を集中的に行おうと思う。 まず父だが、父は当家に3人の姉、妹、…

内観体験記 VOL:19

内観体験も最終日の7日目に入った。入所当時は時間が経つのが長く苦痛を感じていたが日を追うにつれ、それもさほど感じなくなってきた。日に日にその場の雰囲気が馴染んできた事もあるが、内観にも当所と違うものが感じられるようになってきた。例のように…

内観体験記 VOL:18

今回、彼に対しての内観を試みて、今まで考えていた物とは違う感を多く味わった。それまでは、「彼が苦悩を繰り返し最悪の事態に追い込んだものは、何だったんだ」と云う思いは拭い去れなかったが。そして、部外者は単に「早まっただけ・・・」と思うかもし…

内観体験記 VOL:17

その息子に対しての彼の狼狽ぶりは側から見ていても異常に思われる程だった。私と義弟で、そんな彼をなだめすかし、「とにかく、地元の病院に転院させよう」と説得して東員町の病院に転院させた。転院させて一か月余、病状は一向に好転の兆しを見せなかった…

内観体験記 VOL:16

さて、この三男の兄であるが、数ある兄弟の中でも私は一番信頼していたし頼りにもしていた。性格は私とは対照的、思慮深く、石橋を叩いて渡るなら良いが、渡る前に今一度熟慮するような人だった。商売のお得意さんにも絶大な信頼を得ていたし、現に私の仕事…

内観体験記 VOL:15

さぁ〜、今日のスケジュールに沿っての一日が始まった。午前中は「うどん屋」の兄に付いて内観をする事にする。その前に、現時点での兄弟を簡単に説明しておこう。私には6人の兄弟が有る。正確には有ったと云うべきかもしれない。残念ながら二人の兄を亡く…

内観体験記 VOL:14

6月7日、内観6日目に突入。突入はちょっと大袈裟かも知れないが、昨日の後半から内観事態が楽しく出来るようになってきた。昨夜、就寝後しばらくして目が覚め、1時間ほど今回の体験など取り留めのない事を考えた。毎日の仕事や家庭での雑事などに追われ…

内観体験記 VOL:12

6月6日、内観も今日で5日目入った。不思議な事に、この5日間それほど仕事の事や家の事に思いを巡らす事がなかった。事前に周到とは言えないがいろいろと手を打ってきた事もあるが、何故か後ろめたさも感じる。後、今日を入れて3日、ここまで来たのだ、…