内観体験記 VOL:24

午後からは最終日でもあるし、午前中の清掃作業の時、褒められた。そして、期待しているとも言われた、真意ではないと思うが根が単純に出来ているからその気になって来た。これから終了まで内観時間は、スケジュールを見ると、今から3時までの2時間30分しかない事になっている。もう、予定していた人達は終わったから、今からは全般的に振り返って足りなかった所を調べて見よう。この稿は私の得度に至った経緯を書いてみようと思う。龍谷大学・中央仏教学院で佛教を勉強しょうと思い立ったのは、やはり、三男に突然に死だった。それまでにも、信心深い母に連れられて、お説教が有る度によく寺へ出かけていた。その影響か、20歳を過ぎても有名な先生方のお説教や講演を聴くのが好きでよく出かけていた。あれは、三男の49日法要の時だったと記憶している。菩提寺の老僧に勧められたのがきっかけだった。老僧は私が小さい時から母親に連れられて菩提寺に来ていた事、そして過年にも講演などでご一緒させていただいた事も多々あり、それで勧められたのだ。後で聞いた話だが、老僧は予定の定員が満たない学園に(特に専修過程、僧侶の養成)、本山から一名の割り当てを頂いてきたそうで、檀家でその気のありそうな人を探していたらしく。それで、私に白羽の矢を立てたそうだ。罠は罠でも良い罠にかかった訳だ。そんな機会が無ければ思いも付かぬ事で、老僧には本当に感謝している。この、龍谷大学・中央仏教学院・通信教育学科は龍谷大学の教授陣を配し、「学習学科」と「専修学科」分かれている。学習学科は主にそれぞれの寺院の檀家さんで仏教に関しての一般的な教えを学び、専修学科は檀家で有る事は問わないが、将来僧侶になる為の養成機関とも言え、学習過程とは違い、厳しく専門知識・様式作法・声明などを根本から叩きこまれる。ちなみに、4年間でそれに耐え卒業できるのは半分以下である。同級生も寺院の次男又は住職の奥さん(通称は坊守さんと呼ばれる)が多い。これは、住職さんが亡くなられ、その後を急きょ継ぐために資格収得が主な目的とされている方々だ。だから、勉強の意欲はお旺盛である。通信教育だから、基本的には教科書にそって家での学習となる。科目は「佛教概論・宗教・佛教史・真宗Ⅰ・真宗Ⅱ・真宗史・声明・伝道・寺と教団」の9科目である。この9教科、一教科にごとに毎月末に学校から送られてきた「命題」を所定の原稿用紙の400字以上でまとめ、学校へ郵送しなければならない。そのレポートは翌月、添削され点数を付けて帰ってくる。仕事のある身だから、それは大変な作業である。命題も毎月15日過ぎなければ郵送されず、事実上15日からのラストスパートになってしまう。それも一年の時はかなりの重圧だったが、2年以降は徐々に要領を得て楽になった。落後者はほとんどが1年後半で挫折するそうだが、2年以降は徐々に減っていくようだ。それに、毎年8月には3日間の京都本山でのスクーリングには必ず出席しなければならない。そこでは、連日各教科の集中講義がなさせれ、最終日には進級試験が行われ後日結果が郵送されてくる。それを4年間続ける訳だから、余程の覚悟を持っていないと出来るものでない。私も何度か挫折しそうになったが、老祖の手前もあるし、好奇心を持ち続ける事が出来たから成し得た様に思う。今ここに当時の資料があるが、本当に良くやったと手前みそながら自分を褒めたい程だ。