「歎異抄」:師訓篇 第七章(念仏無碍)

 念仏者は無礙の一道なり。そのいはれいかんとならば、信心の行者には、天神・地祇も敬伏し、魔界・外道も障礙することなし。罪悪も業報を感ずることあたはず。諸善もおよぶことなきゆゑなりと云々。



 現代語訳・・・(念仏の教え、またその教えに生きるよりどころをおく者は、人生上の悲しみ、苦悩などを無駄にすることなく、それを乗り越えるたしかな世界に生きる事が出来ます。それを無礙の一道といいます。なぜなら、そのような生き方をしている人々には、天や地のあらゆる存在がその生き方を尊敬し、また、魔と言っても良い存在、異なった教えに生きる人々も、その生き方を妨げる事は出来ません。この一道に生きる人には、自分が犯す所の罪も悪もその報いを受けることなく、救いの妨げたはなりません。悪い事も、善き行いも私たちの救いの道にはなにも関係はないのです。なぜなら、悪い事やめ、善い事を励まなければ救われないというのがアミダ仏の世界ではないからです。と親鸞聖人は仰せになりました。