2011-05-27から1日間の記事一覧

「歎異抄」:師訓篇 第十条(無義為義)

念仏には無義をもつて義とす。不可称不可説不可思議のゆゑにと仰せ候ひき。 現代語訳・・・(本願他力の念仏にあっては、私たちが自分の頭などで、あれこれと計らわない事を根本の道理とします。なぜなら、念仏は計らいを超えており、言葉で讃え尽くす事も、…

「歎異抄」:師訓篇 第九章(不喜不快)

念仏申し候へども、踊躍歓喜のこころおろそかに候ふこと、またいそぎ浄土へまゐりたきこころの候はぬは、いかにと候ふべきことにて候ふやらんと、申しいれて候ひしかば、親鸞もこの不審ありつるに、唯円坊おなじこころにてありけり。よくよく案じみれば、天…

「歎異抄」:師訓篇 第八章(非行非善)

念仏は行者のために、非行・非善なり。わがはからひにて行ずるにあらざれば、非行といふ。わがはからひにてつくる善にもあらざれば、非善といふ。ひとへに他力にして、自力をはなれたたるゆゑに、行者のためには、非行・非善なりと云々。 言だ語訳・・・(ア…

「歎異抄」:師訓篇 第七章(念仏無碍)

念仏者は無礙の一道なり。そのいはれいかんとならば、信心の行者には、天神・地祇も敬伏し、魔界・外道も障礙することなし。罪悪も業報を感ずることあたはず。諸善もおよぶことなきゆゑなりと云々。 現代語訳・・・(念仏の教え、またその教えに生きるよりど…