内観体験記 VOL:20

一昨日までに、三男、両親を除きそれぞれの内観をほぼ完了した。それに、昨日は三男を終えたし、母は入所初日に少し行ったが、雑念にさいなまれて不十分だったので、今日は両親に対しての内観を集中的に行おうと思う。 
 まず父だが、父は当家に3人の姉、妹、弟各一人の6人の兄弟の跡取り息子として大正元年に生まれる。女兄弟が多かった影響でおとなしくあまり目立った存在ではなかったらしい。私の知る父もそうだった。寡黙で物静か、ある面から云えば、何を考えているのか分からないような、胡散臭い所(親に対して・・と叱られそうだが)もあった。そんな父だから、当時としては皆がそうだったのかもしれないが、それしか思い出せないほど、実に働きものだった。6反の田畑で7人もの子供を育てたのだから、私たち兄弟にはとても太刀打ちが出来ない。両親が亡くなってもう十数年たつが、法要の度ごとに「あの人はこの世に何をする為に生れて来たのだろう」と兄弟たちが話したものだった。それだけ、働く姿しか目に浮かばぬ人生だった。そんな極貧の中、VOL:17で書いたが、次男は担任の断っての願いで実現した高校進学だったが、私の場合は成績は中の下、経緯は覚えていないが何故だか、進学させてくれた。当時の高校進学は、郡部であった事もあるがクラス50人中5,6人程度であった。次男は成績優秀だったから、たしか奨学金が出てた様に記憶している。私の場合は論外である。当時の月謝は800円だったと思うが、当時としてはかなりの高額だったのだろう。払うお金がない時は、父に米を自転車に積んでもらい、それを父の姉の嫁ぎ先の雑貨店で買ってもらい支払った事が幾度もあった。そんな状態であったにも関わらず、勉強らしい事もせず、遊び呆けていた自分を今になって後悔している。