「歎異抄」:師訓篇 序

 ひそかに愚案を回らして、ほぼ古今を勘ふるに、先師(親鸞)の口伝の真信に異なることを嘆き、後学相続の疑惑あることを思ふに、幸ひに有縁の知識によらずは、いかでか易行の一門に入ることを得んや。まつたく自見の覚悟をもつて、他力の宗旨を乱ることなかれ。よつて、故親鸞聖人の御物語の趣、耳の底に留むるところ、いささかこれを柱す。ひとへに同心行者の不審を散ぜんがためなりと云々。


現代語訳・・・(私なりに静かに思いをめぐらして、親鸞聖人ご在世の頃と今とを考えてみますと、聖人が直接お説きくださった真実の信心と随分異なっていることが説かれていることは、とても嘆かわしいことです。このようなことでは、今度、念仏者の間に疑問と混乱が生ずるのではないかと、心配でなりません。この後、幸いにも縁のある師友に出会って、まことの教えに目覚めることがなかったならば、どうして易行の仏道に入ることができるでしょうか。決して、自分勝手なみ教えの理解によって本願他力の教えをゆがめてはなりません。
 そこで、今はなき親鸞聖人が説かれた教えの中で私の耳の底に残っている大切なお言葉を、いささか書き記したいと思います。これは、ただ同じ念仏の道を歩まれる同朋の疑問を取り除きたいと思うからです。)