内観体験記 VOL:17

その息子に対しての彼の狼狽ぶりは側から見ていても異常に思われる程だった。私と義弟で、そんな彼をなだめすかし、「とにかく、地元の病院に転院させよう」と説得して東員町の病院に転院させた。転院させて一か月余、病状は一向に好転の兆しを見せなかった。その間、彼は毎日病院通いは当然で、商売にも徐々に支障ときたしてきた。私たち夫婦も、仕事に意欲をなくした兄夫婦を出来るだけサポートしたが、製造のほとんどは出来るはずもない。精々、袋詰めか配達が関の山である。前にも述べたように、仕事に関しては事のほか厳しく思い入れも頗る強い彼が、半ば仕事放棄に状態になって仕舞ったのである。そんな、彼を見ていて当時家内は「お兄さんの、あの憔悴振りは尋常ではない。もしかして・・・」と云った事があった。「なんて事を、考えているんだ」と叱りつけた事があったが、女の勘なんだろうか?しかし、家内はあまり物事を軽率に言葉にせず、熟慮を重ねてから言葉にするタイプ。私とは正反対で(ちなみに、血液型は私がO型、彼女はA型で、一般的に云えば正にその通りだ)である。独断専行の私を諌める事がよくある。その決断に苦々しくも従って、難を免れた事が度々あった。その家内の思いが何と当たってしまったのだ。その日は雨が降っていた。朝4時ごろだったと思うが、繰り返し鳴るチャイムにおこされた。玄関先には長男が悲壮な顔をして立っていた。「XXが首を吊って亡くなった。すぐ来てくれ」と目に涙を浮かべて云うのだ。私と家内は「何でやぁ〜」と確か云ったと思う。もう、茫然と立ち尽くすしかなかった。恐れていた事が現実となってしまったのだ。取り急ぎその現場に駆け付けた。兄が下ろしたのであろう、彼が横たわっていた。首には生々しいその痕を見ても、何故か涙も出なかった。連絡を受けて義姉の兄弟も駆け付け、家にまで運んだ。泣き崩れる義姉、そして最愛の娘(当時、中学生だった)。目のやり場と何と言って良いものやらで、言葉にならなかった。その時、最愛の娘が、遺体にすがりついて「お父さんばっかりが、悪いんじゃない」と泣きじゃくって云った言葉が未だに忘れられないし、その意味も未だに分からず、私の胸に突き刺さったままだ。以後、姪に聞く事も憚れたし、義姉もその言葉を耳にしていた。しかし、私はもう17年の歳月が流れたが、聞くことは慎んでいる。その、彼の最愛の娘も、大学卒業して暫くして、愛すべき伴侶を得、現在まで子供には恵まれないものの、幸せに過ごしている。葬儀も、彼の日頃の交友関係を物語る様に、仕事の関係先は勿論の事、同級生、近隣の方々など、それはそれは大勢の方々に見送られてお浄土への旅立ちだった。その後、2か月して長男も、何事もなかったように回復して大学に戻り、卒業。卒業後法律事務所に勤務。勤務の傍ら「司法書士・家屋調査士」の勉強に勤しみ、難関の両国家資格を得、6年ほど前、自宅を事務所にして独立し、司法書士・家屋調査士の仕事に東奔西走している。その間、結婚もして子供3人と義姉と共に6人で仲良く暮らしている。