内観体験記 VOL:16

さて、この三男の兄であるが、数ある兄弟の中でも私は一番信頼していたし頼りにもしていた。性格は私とは対照的、思慮深く、石橋を叩いて渡るなら良いが、渡る前に今一度熟慮するような人だった。商売のお得意さんにも絶大な信頼を得ていたし、現に私の仕事に於いても「うどん屋」さんの弟さんだからと云って多くの商売をさせて貰った。その中には「恩を仇で返す」事も多々あった。そんな時、普段は温厚な兄も烈火のごとく私に電話してきた。とにかく、お客さんにご迷惑をかける行為にはすこぶる厳しかった。内観をしていて、この兄に、「してもらった事」が次々の浮かんでくる。紙面の関係もあるから個々の事例は省くが、その多さに驚く。果たして「して返した事」事は有ったのだろうか?全然思い出せない。それに、先ほど述べたが「迷惑をかけた事」の多さにも驚くばかりだ。彼の在学時代の友人に聞くと、成績はかなりの上位で高校進学をしなかったのが不思議だったらしい。本人は進学を強く希望してたが、当時の実家の経済的理由から進学したくても出来なかった。実家は山はそこそこ有ったらしいが、田畑合わせて6反程度。現金収入は皆無に等しい。それに両親、子供合わせて9人家族だから、食べるのだけで背一杯。農家でも、取れた米はほとんど農協で買い上げてもらい、家族が食べるのは麦飯が常だった。当時としては、近隣の家でも大体その様な暮らしだったが、子供が多かった分だけ悲惨だった。その様な状態だから進学させるより、口減らしのように中学卒業して外へ出すしかなかったようだ。三男に限らず、長男そして女兄弟は全て中学を卒業して就職している。ただし、次男は成績も良く、担任の強い希望で進学した。そして、成績今一の私も進学させてもらった。それに対して、私にはそうでもなかったが、2つ上の次男には強いジェラシーと劣等感と云う形で持っていた。それは、彼の51年の生涯に決して消え去ることはなかった。それが、自ら命を絶つ行為に少なからず影響していたのではないかと、私は今でも思っているし、今回の内観を通じても思いを新たにした。そんな思いが生涯消えなかった彼は、二人の子供に対しての思い入れが、他から見ても異常かと思うばかりに強かった。二人の子供は学業も共に優秀で、長男は東北大学筑波大学に共に合格。その時の、彼の喜びようは今でも語り草になっている。そして彼の、少しでも近くにとの思いで筑波大学に入学した。しかし、忘れもしないが、長男が大学3年生時だった。バイクで事故を起こし、同乗の方に怪我を負わせてしまった。長男も彼に似て責任感の強い好青年だが、少々神経質な性格だったから、その事に思い悩み一種のノイローゼを病んでしまい、大学近くのその種の病院に入院を余儀なくされてしまった。