内観体験記 VOL:12

6月6日、内観も今日で5日目入った。不思議な事に、この5日間それほど仕事の事や家の事に思いを巡らす事がなかった。事前に周到とは言えないがいろいろと手を打ってきた事もあるが、何故か後ろめたさも感じる。後、今日を入れて3日、ここまで来たのだ、後の3日を有意義に過ごさねば申し訳が立たぬ。幸い、4日が過ぎて要領も得てきた事もあるが、日に日に内観が深まって来たように思う。大敵の雑念が徐々に少なくなりつつある。さすがに、最近は女の裸は出てこなくなった。これもささやかながら進歩の一端だろう。さて、今日も4時前に起床。所定の事柄を終え境内に出る。昨夜からの小降りの雨が続いている。傘なしでも良いだろうと思い本堂まで歩いて行く。今日は雨の所為か境内は誰もいない。本堂はいつものごとく、ローソクの火が揺らいでいる。献花も毎日変えるのだろうか?いつも活け方が微妙に違う。決して義務感で行っていない事が、本当の信心を得た者とここが違う。雨で散策がなかったから「仏説阿弥陀経観無量寿経」を読経する。両経を合わせても30分少々だから時間的には丁度良い。最後の日には三部経で一番長い「無量寿経」を読経して終わりたいものだ。今日は順法先生の講話が10時から予定されいている。合掌園には水野先生を筆頭に5人のお坊さんがいられる。お坊さんと云っても、本山の得度を受け正式に「法名」をお持ちの方は水野先生だけで、後の4名さんは水野先生の宣下を受けられた方達だ。その順法先生は唯一の尼さんである。境内の片隅に小さな家があるがそこにお住まいである。お歳は定かでないが、80歳は超えていられよう。しかし、血色もよくとてもその様には見受けられない。これも、玄米食の効用だろうか。柔和なお顔と愛くるしい話し方で信者さんに人気がもっとも有ると聞く。私も今日を大変楽しみにしていた一人だ。以下は順法先生の講話より・・・ある九州のお坊さんの話である。ある晩、和尚さんが寝ていると、暗闇の中から「金を出せ、静かにせよ、騒ぐと殺すぞ」と刃物を持った男が立っている。和尚は突然の事で大変驚いた。しかし、そこは悟りを開かれたお方、すぐ落ち着いて「お金ですか?ちょっと待って下さい」と本堂の方へ行き、自分の当座のお金や今日のお布施を全部持ってきて、その男に「貧乏寺ですので、今のところこれだけしかありません。どうぞお持ちください」と云いその男に渡され、「これは貴方にさし上げるのです。さし上げる以上、返して頂かなくて結構ですから、御礼だけ一言云って下さい」と言われた。云われた男はとっさに出たのであろう「ありがとう」と云って立ち去る所を、その和尚は「今度、お越しの時はもう少し用意しておきますから、困った時に又来て下さい」と云って見送ったそうである。それから何カ月も過ぎ、突然警察から和尚に電話が入り「すぐ、警察に来ていただけませんか。強盗の常習犯と面会してほしいのですが。」。さて、何だろうと警察に出向いた。刑事が「x月x日の深夜に和尚さん宅に強盗が押し入りませんでした?」と尋ねた。和尚はあの時の事だなと思いながら「強盗なんて、覚えがありませんね」と返答した所、「実は、入ったと自供しているのですが、顔を見て下さい」と云って、その男を和尚の前に連れてきた。そうすると和尚は「この方でしたら、たしか云われると通り、その日にお越しいただきました。お越しいただいて、お金をくれとおっしゃいますので、確かに私はこの方にさし上げましたが、この方も丁重にお礼を言われて帰られました事は記憶してますが」と言われ整然とされていたそうである。その言葉を聞いたその男は涙を流して、和尚に向かって手を合わせたそうである。和尚の慈悲深い悟りの世界なのだろう。凡人にとってはとても出来る事ではないが、この様に人を責めず、人に施していく心こそが仏に道であると水野先生は云われる。昨日も云われたが、物に対して感謝の念を絶えず持ち、この宇宙に、大自然に生かされている心の迷いをなくし気負いのない生活が出来ると云い切られて講話は終わった。