仏教用語から転じた言葉: 諦め(あきらめ)


どうにもならないことを、くよくよ考えないで断念することを「あきらめる」といいます。お釈迦様は悟りを開かれた後、ベナレスのミガダーヤで5人の友人たちに、初めて法を説かれました。初転法輪と呼ばれているのがそれで、説法の内容が「四諦」の教えでした。諦とは「まこと」とか「真理」という意味で、動詞として読むときには「あきらめる」すなわち、「明らかに真実を見る」という意味です。お釈迦様はその悟りの内容を、苦諦(くたい)・集諦(じったい)・滅諦(めったい)・道諦(どうたい)の四つの真理に分けて教え、それを見ることによって、真理を知ることが出来ると説かれました。だから、諦という語は、現在のように消極的な用い方ではなく、真理を悟るという力強い語なのです。しかも、その時、自分一人の力ではどうにもならないことを悟るのが、本来の意味なのかも知れません。