仏教用語から転じた言葉: 意識(いしき)・意地(いじ)

意識は哲学や心理学の分野だけでなく「異性を意識する」「自意識過剰」「勝ちを意識してかたくなる」なで、一般にも用いられている言葉です。また、意地も「男の意地」「女の意地」とか「意地が悪い」「意地を張る」なで、日常語になっています。仏教では、物を見るはたらきの眼識、音を聞く耳識、においを嗅ぐ鼻識、味わう舌識、触れる身識の5つの感覚器官を5識といい、その奥にあって、それらを含めた一切のものを総括的にとらえ、意識し推理し追想する心のはたらきを、第六感とか意識といいます。このような意識は、ひとりひとりの人間の全体を支配し、認識作用の根源であり、物事が成立されるところなので意地というのです。心根(こころね)という意味でしょう。仏教語であった意識や意地という語が、今では学術用語として、りっぱに通用している例です。