原爆と原発

 80歳で亡くなった小松左京さんは戦時中、こども向け雑誌で原子爆弾と云う新語を知った。夢物語のはずが、数年して日本に落される。「科学時術の発達はいったい人類をどないすんねんと思った。それもSFに本格的に取り組む一つの動機でした」と語っている。近刊「3・11の未来」に寄せた絶筆で、その人は書いた。「私は、まだ人間の知性と日本人の情念を信じたい。この困難をどのように解決していくか、もう少し生きていて見届けたい」。小松さんは核兵器を憎みながら、科学技術の善用を信じ、原子力の活用を「人類の挑戦と」とみていた。それは、ごく一般的な立ち位置でもあった。3・11までは。原爆と原発。似た音を持つ20世紀の発明は、ともに核分裂の熱を使う。一つは人殺しに、一つは発電に。しかし放射能は善悪を弁えない。この猛獣を地震国で飼いならすのは難しいというが、福島の教訓だ。広島長崎での追跡調査は、被曝は「これ以下なら安全」という量はないと教えている。国会で説明した児玉龍彦・東大教授によれば、福島から広島原爆20個分(ウラン換算)の放射能が飛散した。残存量もはるかに多く、影響の広さ、長さは知れない。(原発は悪いものだと言ってません、怖いものだと言っているのです)。今、私たちが肌で感じる恐怖や不快を思えば、平和利用の恵みも色あせる。脱原発の試みは科学の敗北というより、被爆国の理性と考えたい。