内観体験記 VOL:10

内観4日目の朝を迎える。起床4時少し過ぎ、まだ仲間は就寝中だ。連日の内観で疲れているのだろうか、高いびきの方もいる。それだけ内観に連日打ち込んでいられるのだろうか、それとも諦めて開き直っていられるのか分からない。もし前者だったとしたら、自分を振り返って自身暗鬼になる。いつものように着替え、歯磨き、洗面を手早く済ませ境内に出る。昨日までは梅雨にも関わらず好天が続いたが、今日は一転して雲が垂れこみ、降ってはいないが一面梅雨空だ。昨夜、各自に「今回の内観の目的」を聞かれた。その中で、石川県から参加され、今回で2回目と紹介があった、極度の上がり症か、何を言っているのか全然理解できない人がいた。その人が早朝から畑で農作業をしている。2回目の今回は家族との縁を切って合掌園に来たそうである。どのような理由が有るにせよ、家族と縁を切ってまで来たという彼に少々興味があった。「おはようございます。ご苦労様ですね」と声をかける。丁度、作業が一段落された様で、境内の石段の腰を下ろしお話を伺う。郷里には小学4年の女の子と小学1年の男の子があり、両親も健在で農家の跡取り息子との事だ。「何が貴方にそうさせたのですか?」と聞くと、とにかくお金のいらない世界に行きたかった。金、金の世間に嫌気がさしてきた。私はこの方の話を聞いていて、前に書いたが自分の逃避行とダブってきて無性に腹立ちさを覚えた。その方の家族が現在どの様に心配されているかを思うとやり切れない気持ちになった。所詮、この方は何も合掌園で掴めず帰られることになると思う。人生を甘く見ている。単なる甘えでしかない。以前の自分を見るようで寂しい気持ちにさせられた。本堂で合掌、礼拝をして道場に戻った。
 5時、読経と共に今日も始まった。内観中にふと考えた。ピストル、ジャック・ナイフなどは一般的には凶器と呼ばれる。それはそれを持つ人によって決まる。広い意味で云えば、万物いかなる物も凶器と成り得る。口もそうである。なにげない言葉にも聞く当事者にとっては深い意味合いが潜んでいるかも知れない。それはその人にとってピストル以上かも知れない。考えて見れば、私の場合も例外ではない。仕事柄、人と話をする機会が多い私も、時として体験する事がある。商談を進めていて佳境に入り、これで後ひと押しと云う時に突然相手が不機嫌になり、商談がつぶれる。自分では何故か分からない。分からないから起死回生を試みる。しかし駄目である。ますます、不信の眼差しに変わり、以後お付き合いをしていただけなくなる。多分、何かの言い方に逆鱗を買ったのだろう。後悔しても戻らない。人それぞれにの気持ちを大切にしなければならないと思っていても一事が万事出来る物でもない。