内観体験記 VOL:13

午後5時、少し遅い夕食、玄米食にも幾分慣れてきたようだ。1日目、2日目は家内の作ったカツ、焼きそばがなどが目に浮かんだが、それも徐々に消えてきたようである。それどころか、何故かこの食事が有り難く思えるようになってきたから多少は内観の効用が現れ始めたのかも知れない。私の様な業突く張りがどうした心境の変化なのだろう。食後、いつも気になっていた一枚の写真が壁に掲げられている。食事のお世話をして下さる方に尋ねてみた。その方は、滋賀県大津市のあるお寺の住職で、戦時中負傷され、傷口の壊死が進み遭えなく両足を切断され復員され、仏教の道の入られたそうだ。戦後は不住な体をおして布教活動と福祉活動に奔走され、その疲れから2年前に亡くなられたそうである。合掌園にも幾度か講演に来られ、いつも「私の仕事は、この顔で皆さんに喜んでもらおうとあちこちお邪魔してます。」と写真の様な笑顔でいつも云われていたそうだ。実に良い顔をしていらっしゃる。何故か仏像を見ている様なこの感覚が、写真を拝見していると、心が落ち着き、邪念が消えていく様で入所当所から気になっていたが、なるほどと思った。もう少し早ければお会いしてお話をお聞きしたかったと思わずにはいられない。5時30分、夕食が終わり、夜のお勤め、そして内観体験談の聴講と就寝の9時まではスケジュールが詰まっている。

内観体験記 VOL:08

入所3日目である。さすが3日目ともなると一日のパターンと云うか、要領が分かってきた。朝の4時半起床は、元来早起きの習性のある私には当初から気にならなかったし、根は真面目一方であるから??、規律ある生活もさほど苦にならない。しかし内観に対しての集中力が一向湧いてこない。入所時のアドバイザーの方が「1,2日は誰でも集中出来ないですよ」と仰られたが、今日で3日目になるから、そろそろ内観境地なるものに少しでも近づきたいが無理かな。
 今日も4時前に目が覚める。いつもの如く洗顔を済ませ、境内を深呼吸しながら散策する。今日初めて気がついたが、境内には梅の木が方々に植えられている。10数本はありそうだ。例のごとくお手伝いさんが朝仕事に精を出していられる。「おはようございます。早くからご精が出ますネ。所で、境内には梅の木が多いですね?」と尋ねてみた。「水野先生が来られた時、梅干しが有れば食べるに困らないと思われ定植されたそうです」との説明を頂いた。他にも荒れ地を自ら500坪ほど開墾され、現在も野菜などを栽培して米以外はほとんど自給自足で事足りているとの事である。それで食事の「一汁一菜」ならぬ「一梅一采」が理解できた。こんなこと云ったら誠に不謹慎だが、ここでの食事のコストは単純に見積もっても2食で100円前後だろう。当所に従事されている、水野先生を含め10人の方々も当然同じ食事である。それにしても、皆さんの血色の良さとはつらつとした動きは健康そのものだ。食事の楽しみもある程度は当然だが、如何に日頃贅沢三昧をしているか知らされ愕然とした。余談だが、ここでの7泊8日の費用は定められていない。事前の案内書には「浄財」とだけ記してあった。私は紹介の知人が1万円と聞いていたから、その金額を入所時、仏前にお供えした。ある食事のときにそれが話題になり、ほとんどの人が5000円前後だった。聞く所によると、浮浪者当然の方々が2,3カ月滞在してそのままお帰りになるケースも度々あるそうだ。それでも、2,3年すると多くの方が訪れ「あの時から人生観が変わり、今では職も得、家族と共に元気で暮らしている」と多額の浄財を置いていかれるそうである。3日目の段階ではそうは思わなかったが、終了してからはうなずける話だった。
 本堂に上がり合掌、読経、礼拝を済ませ食堂へ行き、すぐ内観所に入る。午後9時までの長い内観が始まる。今日は1時から、楽しみの水野先生の講話のある日でもある。

内観体験記 VOL:09

内観とは、字のごとく「内を観る」と云うことである。つまり、自分を知ることであると理解している。誰もが相手の顔を即座に見る事が出来る。しかし、自分を見ようとすると鏡が必要になる。鏡だけではこれまた不十分である。そこには光がなければどんな良い鏡を持ってしても見ることは出来ない。この様に顔を見る事すら自身の力ではどうする事も出来ない。それほど、自己を見つめることは難しい事であり、まして自己の内側を観るに於いては尚難しい。これを内観と云う。自己を内観と云う行為で見つ尽くし、そして自分自身を明らかにしていくのが本来の目的だと思う。過去の自分はどうだったか?現在の自分はどうか?相手に対して自分の都合で接していないか?また、相手からその様に接しられたら自分はどう思うか?などを徹底的に自問自答を繰り返して自己を知っていくのである。それが、内観の基本的な考え方である。
 人間は生まれた時、天から「おぎゃ〜」と云う鳴き声と笑う事を頂いた。泣く事は犬、猫、その他あらゆる動物に与えたが、笑う事を与えられたのは人間だけである。その与えられた人間の資質を完全に自分のものにしていない人が今や多すぎる。不平不満が面々に充満している。それは、現代社会の実利主義と取り巻く環境の所為である面ないとは言えないが、結局は自身の問題である。それは、究極的には万物に対しての感謝の念がないからに他ならない。物に感謝する。人の行為に感謝する。また、天地自然にに感謝の念を持つ、例えば、人様から物を頂けば「ありがとうございます」と心はどうであれ一応礼を云う。しかし、天からの授かりもの、太陽の恵み、空気、そして水。これらの物は天から与えられた全て無償の物である。朝、太陽に向かって「ありがとう」夕暮れには「今日も一日有難うございました」と云った事があるか?鳥井先生(水野先生が師事された京都の高僧)の言葉を引用されて、幸福とは、自己を知りつくした人であり、幾ら財力、地位があろうと自己を知り得ない者は不幸である。また、人間は悲しい事に嘘をつく。嘘も方便と言われる様に、嘘のも善意の満ちたそれもある。癌の末期患者に主治医が云うのもその一種である。しかし、最近は告知問題については様々な議論があり、よくその関連の事がマスコミで取り上げられる事が多くなった。患者の精神状態云々と云う事は、自己を知りそれに打ち勝つ資質があると主治医とその家族が判断したものに限られる事は当然である。さて、人間以外の動物が嘘をつくか、これは云うまでもない。少なくても嘘をつかない事に関しては、彼らの方が人間より上である。嘘をつくと云う事は「我」の最たる現象に他ならない。自分の都合が悪い事が起きると嘘を云う事でその場を逃れる。その嘘がばれそうになると、その上にまた嘘を重ねる。それによって本人は益々苦しくなり、悩み苦しみ、挙句の果てには、ばれてしまって信頼を失ってしまう。全ての人がそうであるとは云わないが、人間とはかくも弱い存在なのである。そんな人間の本質を知り、自己を見つめる努力を惜しんではならない。それがすなわち内観であり、内観の正しい考え方である。水野先生の講話は概要この様なものだった。一時間の講話だったが時間の経つのを忘れてしまう内容の深いものだった。

内観体験記 VOL:10

内観4日目の朝を迎える。起床4時少し過ぎ、まだ仲間は就寝中だ。連日の内観で疲れているのだろうか、高いびきの方もいる。それだけ内観に連日打ち込んでいられるのだろうか、それとも諦めて開き直っていられるのか分からない。もし前者だったとしたら、自分を振り返って自身暗鬼になる。いつものように着替え、歯磨き、洗面を手早く済ませ境内に出る。昨日までは梅雨にも関わらず好天が続いたが、今日は一転して雲が垂れこみ、降ってはいないが一面梅雨空だ。昨夜、各自に「今回の内観の目的」を聞かれた。その中で、石川県から参加され、今回で2回目と紹介があった、極度の上がり症か、何を言っているのか全然理解できない人がいた。その人が早朝から畑で農作業をしている。2回目の今回は家族との縁を切って合掌園に来たそうである。どのような理由が有るにせよ、家族と縁を切ってまで来たという彼に少々興味があった。「おはようございます。ご苦労様ですね」と声をかける。丁度、作業が一段落された様で、境内の石段の腰を下ろしお話を伺う。郷里には小学4年の女の子と小学1年の男の子があり、両親も健在で農家の跡取り息子との事だ。「何が貴方にそうさせたのですか?」と聞くと、とにかくお金のいらない世界に行きたかった。金、金の世間に嫌気がさしてきた。私はこの方の話を聞いていて、前に書いたが自分の逃避行とダブってきて無性に腹立ちさを覚えた。その方の家族が現在どの様に心配されているかを思うとやり切れない気持ちになった。所詮、この方は何も合掌園で掴めず帰られることになると思う。人生を甘く見ている。単なる甘えでしかない。以前の自分を見るようで寂しい気持ちにさせられた。本堂で合掌、礼拝をして道場に戻った。
 5時、読経と共に今日も始まった。内観中にふと考えた。ピストル、ジャック・ナイフなどは一般的には凶器と呼ばれる。それはそれを持つ人によって決まる。広い意味で云えば、万物いかなる物も凶器と成り得る。口もそうである。なにげない言葉にも聞く当事者にとっては深い意味合いが潜んでいるかも知れない。それはその人にとってピストル以上かも知れない。考えて見れば、私の場合も例外ではない。仕事柄、人と話をする機会が多い私も、時として体験する事がある。商談を進めていて佳境に入り、これで後ひと押しと云う時に突然相手が不機嫌になり、商談がつぶれる。自分では何故か分からない。分からないから起死回生を試みる。しかし駄目である。ますます、不信の眼差しに変わり、以後お付き合いをしていただけなくなる。多分、何かの言い方に逆鱗を買ったのだろう。後悔しても戻らない。人それぞれにの気持ちを大切にしなければならないと思っていても一事が万事出来る物でもない。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                               

内観体験記 VOL:11

内観体験記NO10続き・・・
 さて、本筋に戻そう。今日の9時から水野先生の講話、そして10時半からお昼まで境内の清掃と先ほど発表があった。清掃でも何でも良い、外に出られる事がこれほど嬉しかった事がない。さすが、粋な計らいも用意してあったのだ。さて、水野先生の講話内容である。ある日、大垣から来たと言って合掌園に中年の男がやってきた。受付が内観希望と思い込み所定の手続きをしょうとすると、怪訝な顔をされ、それでも手続きを済まされ内観に入られたそうだ。それから2,3日して大垣警察署から、こういう方は見えませんか?と尋ねてきた。話を聞くとなんと前科もあり、今、現在も覚醒剤関係で全国指名手配になっている男との事で、大変ビックリして水野先生にお伺いを立てたところ、警察の方を六角堂にお呼びになり「私が全責任を持ちますから、一か月ほど待ってほしい。その人を内観をさせて必ず立ち直らせますから」と云い切り、また、内観の効用を得と説かれ、警察の方もそれではと帰られたそうである。それからというもの、その人には警察の来たことも、その人が罪人であることも一切云わず、ただ内観に打ち込むように勧められたそうだ。しかし、その方は、内観をいつまでたってもやろうとせず、夜になると何処ともなく出かけ、深夜に帰宅する日が続いたそうだ。そんなある日、いつもの深夜の帰宅。所が帰宅と同時に突然の腹の激痛に襲われ七転八倒。医者を呼ぼうにも生憎の日曜日、それも深夜こ事、売薬を飲ませたが効果がない。そこへ、水野先生が心配してお越しになり、一目見て「あんた、下食(五臓六腑の毒が全て出る事)されたなぁ〜」と言われ、それなら結構と言われ「それも仏のなせる技、よく考えなさい」と云って帰られたそうだ。その人は一晩中、悶え苦しみぬかれ、翌朝、何もなかったように、朝のお勤めを熱心にされたそうである。それからは真剣に内観に打ち込まれ、その日の夕方、場内に響かんばかりの大声で泣かれ、両親、妻子、兄弟に詫びられたそうである。両親、兄弟、妻子にも見放され、合掌園に来て、この様な優しい扱いを受けた事で、自分に目覚められたそうである。それから、2週間ほど過ぎて水野先生が「あなたはタクシーの運転手さんでしょ。これから暫く私の運転手をして下さい」と言われ、各地で行われる先生の講話にお供され、益々、内観を深められ仏教の教えに帰依されたとそうだ。一か月余が過ぎ、その方の変わりようは目を見張るものがあり、改めて内観の凄さを各信者さんが」感じられたそうである。そんなある日、大垣警察からその方の連行に見え、その時、彼は警察の方に「しばらく、待って下さい。逃げも隠れもしませんから・・・」と云って本堂に入られ、木魚と叩いて読経されたそうである。その間、過去の彼を知っている警察官もビックリして彼を待っていたそうである。読経が終わり本堂から出てきた彼は「お手数掛けました」と云って車に乗り込み、見送りの合掌園の人達の「また、いつでも来いよぉ〜」の言葉に涙を浮かべ深々と礼をされ行かれたそうだ。その後、2か月の拘留生活を送られたが、その間、彼が合掌園で生活していたように規律正しい生活態度、懺悔の生活を実践され、後の裁判で、それが認められ実刑に値する刑を執行猶予で刑が確定したそうだ。今でも時々見えるそうで、奥さんとも寄りを戻され、大垣でタクシー運転手として、親子3人で一生懸命頑張っていられるようだ。お客様の立場に立って仕事をさして頂いていると毎日感謝に日々を過ごして見えるそうだ。「いくら悪人でも、仏の前では皆、善人。それを悪にするも、善にするも、自己を知るか、知らないかの違いであります。心して内観に打ち込んでください」と最後に先生は付け加えられた。

内観体験記 VOL:12

6月6日、内観も今日で5日目入った。不思議な事に、この5日間それほど仕事の事や家の事に思いを巡らす事がなかった。事前に周到とは言えないがいろいろと手を打ってきた事もあるが、何故か後ろめたさも感じる。後、今日を入れて3日、ここまで来たのだ、後の3日を有意義に過ごさねば申し訳が立たぬ。幸い、4日が過ぎて要領も得てきた事もあるが、日に日に内観が深まって来たように思う。大敵の雑念が徐々に少なくなりつつある。さすがに、最近は女の裸は出てこなくなった。これもささやかながら進歩の一端だろう。さて、今日も4時前に起床。所定の事柄を終え境内に出る。昨夜からの小降りの雨が続いている。傘なしでも良いだろうと思い本堂まで歩いて行く。今日は雨の所為か境内は誰もいない。本堂はいつものごとく、ローソクの火が揺らいでいる。献花も毎日変えるのだろうか?いつも活け方が微妙に違う。決して義務感で行っていない事が、本当の信心を得た者とここが違う。雨で散策がなかったから「仏説阿弥陀経観無量寿経」を読経する。両経を合わせても30分少々だから時間的には丁度良い。最後の日には三部経で一番長い「無量寿経」を読経して終わりたいものだ。今日は順法先生の講話が10時から予定されいている。合掌園には水野先生を筆頭に5人のお坊さんがいられる。お坊さんと云っても、本山の得度を受け正式に「法名」をお持ちの方は水野先生だけで、後の4名さんは水野先生の宣下を受けられた方達だ。その順法先生は唯一の尼さんである。境内の片隅に小さな家があるがそこにお住まいである。お歳は定かでないが、80歳は超えていられよう。しかし、血色もよくとてもその様には見受けられない。これも、玄米食の効用だろうか。柔和なお顔と愛くるしい話し方で信者さんに人気がもっとも有ると聞く。私も今日を大変楽しみにしていた一人だ。以下は順法先生の講話より・・・ある九州のお坊さんの話である。ある晩、和尚さんが寝ていると、暗闇の中から「金を出せ、静かにせよ、騒ぐと殺すぞ」と刃物を持った男が立っている。和尚は突然の事で大変驚いた。しかし、そこは悟りを開かれたお方、すぐ落ち着いて「お金ですか?ちょっと待って下さい」と本堂の方へ行き、自分の当座のお金や今日のお布施を全部持ってきて、その男に「貧乏寺ですので、今のところこれだけしかありません。どうぞお持ちください」と云いその男に渡され、「これは貴方にさし上げるのです。さし上げる以上、返して頂かなくて結構ですから、御礼だけ一言云って下さい」と言われた。云われた男はとっさに出たのであろう「ありがとう」と云って立ち去る所を、その和尚は「今度、お越しの時はもう少し用意しておきますから、困った時に又来て下さい」と云って見送ったそうである。それから何カ月も過ぎ、突然警察から和尚に電話が入り「すぐ、警察に来ていただけませんか。強盗の常習犯と面会してほしいのですが。」。さて、何だろうと警察に出向いた。刑事が「x月x日の深夜に和尚さん宅に強盗が押し入りませんでした?」と尋ねた。和尚はあの時の事だなと思いながら「強盗なんて、覚えがありませんね」と返答した所、「実は、入ったと自供しているのですが、顔を見て下さい」と云って、その男を和尚の前に連れてきた。そうすると和尚は「この方でしたら、たしか云われると通り、その日にお越しいただきました。お越しいただいて、お金をくれとおっしゃいますので、確かに私はこの方にさし上げましたが、この方も丁重にお礼を言われて帰られました事は記憶してますが」と言われ整然とされていたそうである。その言葉を聞いたその男は涙を流して、和尚に向かって手を合わせたそうである。和尚の慈悲深い悟りの世界なのだろう。凡人にとってはとても出来る事ではないが、この様に人を責めず、人に施していく心こそが仏に道であると水野先生は云われる。昨日も云われたが、物に対して感謝の念を絶えず持ち、この宇宙に、大自然に生かされている心の迷いをなくし気負いのない生活が出来ると云い切られて講話は終わった。